はてな近藤淳也さんがリリースした「物件ファン」は今までの不動産サイトと何が違うのか?前編

近藤淳也(こんどうじゅんや)さん。日本を代表するブログサービス「はてなブログ」でも知られる株式会社はてなの代表取締役会長だ。2014年に社長から会長に就任し、2016年に会社がマザーズ上場を果たす傍らで、自らが事業責任者となって新しい不動産紹介サイト「物件ファン」をリリースした。創業以来「はてなアンテナ」「はてなブックマーク」などの画期的なサービスを開発し続けてきたインターネット界の雄たる彼が、なぜ今「不動産」に関わろうとしているのか? その背後にある近藤さんの想いを伺いたく、インタビューの機会をいただいた。

近藤さんの原点

洗いざらしの白いシャツにジーンズ、足元はスニーカー、バックパックを肩にかけて、鎌倉にあるエンジョイワークスのオフィスに現れた近藤さん。
「歩いていて気持ちのいいまちですね」
飄々、という言葉も似合うが、もっと温かみがある。

この日は、近藤さんが立ち上げた個性的な不動産物件を日々紹介するサイト「物件ファン」側から、湘南エリアの不動産を扱っている我々エンジョイワークスの代表 福田にインタビューをし、その後、我々が始めた空き家・遊休不動産再生Webサービス「ハロー!RENOVATION」側から近藤さんにインタビューさせていただくという、いわば「インターネット × 不動産のぶつかり稽古」のような趣向。

エンジョイワークスが行ってきた家づくりやまちづくりの取り組みを福田が一通り話し終えると、近藤さんはしみじみとした様子で、
「そのまちに住んでいる人の想いから、そのまちができるんですね。住む人がコミットしてこないと、結局まちが立ち上がらない。それが1つの家づくりから始まるんですね」
と言った。

鎌倉の不動産プロデュース会社エンジョイワークスが運営するカフェ「HOUSE YUIGAHAMA」を視察する近藤さん

近藤さんは三重県のご出身だ。京都大学に進学し、卒業を迎えて就職するという段になった時、周囲の友達がみんな当然のように「東京へ行く」ことにショックを受けたという。

近藤さん(以下、近藤):「大学時代、毎日が本当に楽しかったんですよね。京都のまちも良かったし、友達も、人も、みんな良かった。こんな楽しいことを簡単に捨てていいのか?と思いましたね。何の疑いもなく東京へ行くことの怖さ、それでいいのか?と思いました」

地元で仕事をする父の背中を見て育ったこともあり、「とにかく東京へ」という選択は近藤さんには違和感があった。自分のことを「あまのじゃくなんです」と評する近藤さんは、京都に残ることを決め大学院に進学。学業の一方で自転車(ロードバイク)に熱中し、走ること日本中をのべ2~3周、アメリカ大陸も自転車で横断した。この自転車でも近藤さんのあまのじゃくぶりを伺わせるエピソードがある。

近藤さん:「ツール・ド・フランスという自転車の大会をご存知ですか? 僕はその山ステージが好きなんです。雄大な自然の中を走って行く、あんなに旅情のあるスポーツ、ロマンのあるスポーツはなかなかないですよ。そのツール・ド・フランスの山ステージに、標高という点では負けないような素晴らしい山があるのが、実は信州なんです。
そこでツール・ド・信州をつくろう!と思い立ったんですが、当時は公道でのレースと見なされ警察の許可が下りませんでした。サイクリングは自由、レースはダメ、いやいやその間があるだろ!と思ったんですよね」

そこで近藤さんは、身近にいた自転車乗りたちと同好会のような形で「ツール・ド・信州」を始める。身内の集まりとは言え、タイムを計測したり、過酷なコースを設定したり、最も速かった人を讃えたりと単なるサイクリングではない本気の催しだ。最初は少数の集まりだったものが、ある時雑誌に取り上げられたことをきっかけに「これはずっと俺が夢見ていた走りだ!」と共感を呼び、ファンがどんどん増加して行った。そして人数が多くなりすぎたため、現在は活動を休止している。

みんなが何の疑いも持たずに一様に東京へ行ってしまうこと。
社会の既成の枠組みでは否定されてしまう走り方。
”果たして本当にそれでいいのか? 本当にそれしか道はないのか?”

あまのじゃく、というよりも、近藤さんは自分の中に湧き上がる誰も気づいていない「問い」に、ただ正面から向き合っているように見える。

エンジョイワークスが2017年6月にOPENさせた海辺のワークプレイス「Satellite YUIGAHAMA」にてインタビュー。

「はてな」の誕生、危機、ブレイクの瞬間、そして東京へ

2001年、25歳の時、近藤さんは有限会社はてなを設立した。
創業時に近藤さんがリリースしたのは、インターネット上での検索サービス「人力検索はてな」。
折しもその約5年前にスタンフォード大学ではGoogleの検索サービスの原型が産声を上げ、瞬く間に時代の寵児となったGoogleは、2000年には日本でYahoo!のサーチエンジンにも採用されていた。
「人力検索はてな」の開発、そして創業に至った当時のことを近藤さんはこんなふうに話している。

近藤さん:「Googleが検索サービスを始めて、僕は実家で両親のためにパソコンをセットアップしました。これからは分からないことがあったらパソコンですぐ調べられるよと。ところが両親には『パソコンで検索する』ってことがすでに難しいんです。この枠の中に聞きたいことのキーワードを2つくらい入れて…と説明するんですが、なかなかできない。その時に、これからこういう状況になった人に対して、この説明を全員にせなあかんのかな?それは嫌やな、と思いました。もっと人に聞くみたいに聞ける『人にやさしい検索』があったらな、と」

そうしてでき上がった「人力検索はてな」は、ふだん我々が話しているのと同じ言葉で聞きたいことを入力すると、インターネット上で繋がる個人の中からその答えを知っている人が回答してくれる、というサービスだった。これならキーワード検索に慣れていない人でも、分からないことを聞きやすい。ところが、である。

近藤さん:「1回何十円、というシステムで質問を受け付けていたんですが、質問が来ない。ユーザーが1000人くらいになったところで伸びなくなりました」

資金は次第に残り少なくなり、有限会社はてなは創業後わずか半年で廃業の危機を迎える。

近藤さん:「創業資金が底をついたらやめよう、とも考えていたんです。でも半年で終わるのはちょっと早すぎる。僕ははてなをつくりたくてプログラムを学んだ、ということもありましたし。そこで会社の仲間2人と、とりあえず今できることをやるしかない!と受託の仕事を取りに行きました。片っ端からピンポンする勢いで、僕らこんなことできますけど何か仕事ありませんか?って。そしたらある会社からアンケートフォーム作れる?と言ってもらって、それが初めての仕事です」

お客様からお金を頂く以上、精一杯取り組んで、喜んでもらえるものを提供したい。そんな気持ちで頑張った受託の仕事は取引先から継続してもらえるようになり、次第に相手にする企業も、案件の規模も大きくなっていった。売上も安定してきたところで、2002年、近藤さんははてな独自の新しいサービスとして「はてなアンテナ」をリリースする。現在のRSSリーダーに近い内容で、気に入ったサイトを登録すると、そのサイトの更新状況を定期的にチェックして最新記事を自動表示してくれるという便利なサービスだ。ユーザー数は短期間で数万人の規模に増加していった。

近藤さん:「サーバーが毎日落ちるんです。その頃はまだ自前のサーバーでやってましたから。ひたすら自分たちでパソコンを買ってきて組み立てる毎日ですよ。気候が暑くなってくると、夜中にポーン!と音がしてコンデンサーが破裂したりね」

その勢いで売上も急上昇したのかと尋ねると、

近藤さん:「それが無料サービスにしちゃったもので、全く儲からなかったんですよ(笑)」

日々はてなアンテナのユーザーは増え続けるが、売上には全く結びつかない。サーバーを増設していくにも限界があるしコストもかかる。これでいいのだろうかと悩んでいた頃、とある企業から「インターネット上でうちのお客様のコミュニティをつくりたい」という相談が近藤さんに寄せられた。その時、近藤さんがアイデアを形にしつつあった「個人の日記と掲示板を掛け合わせたようなサービス」なら、それに応えられるかもしれないとひらめいた。そこから2週間でサービスを仕上げ、近藤さんは現在の「はてなブログ」の原型とも呼べる「はてなダイアリー」を世に送り出した。

近藤さん:「はてなダイアリーは個人の日記でありながら、キーワードで人と繋がることができるんです。同じようなことを考えている人に出会える。横のつながりが持てるんですね」

その様を近藤さんは「住まい」にたとえて、個々に分断された画一的な居住空間の集まりである集合住宅ではなく、大きな建物をみんなで所有しその中に共有スペースや自分らしいスペースがあるコーポラティブ住宅のようなもの、と表現する。

当時、国産の無料ブログツールがなかったこともあり、2003年にはてなダイアリーがリリースされるとユーザー数は10万人規模にまで増加した。中小企業が集まる京都のインキュベーションオフィスに間借りしていた近藤さんの事務所には、東京からホリエモンはじめ名だたる面子が来訪するようになった。

ちょうどその頃、Googleが「アドセンス」というアフェリエイト広告サービスを開始した。自分のサイトにGoogleが提供する無料広告を貼るだけで、クリック数に応じて報酬が得られるというもの。

近藤さん:「はてなダイアリーは個人の日記なんですが、『キーワード』は公共空間なんです。そこにはありとあらゆるキーワードが集まっていて、その先にたくさんの個人やページが紐づいている。その公共空間にアドセンスを貼ってみたら、ものすごい数のクリックが来たんです」

こうして無料サービスだったはてなダイアリーは、会社の稼ぎ頭に変わった。はてなオリジナルのサービスでやっていける見通しがついた。2004年、近藤さん率いる「はてな」は株式会社に改組し、ようやく東京に事務所を構えることとなった。

後編へ続く >>

近藤淳也(こんどうじゅんや)
株式会社はてな代表取締役会長。1975年生まれ。2001年に京都ではてなを創業、自らプログラムを書いて数々のサービスを開発し、会社の成長とともに経営の仕事へとシフト。2014年会長に就任し、2016年に自ら事業責任者となって新しい不動産紹介サイト「物件ファン」を立ち上げる。

はてな
http://hatenacorp.jp/

物件ファン
https://bukkenfan.jp/

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