人力車倉庫跡を地元住民と旅人が交流するゲストハウスに。Hostel YUIGAHAMA + SOBA BAR
東京から電車で約1時間。海、山、寺社仏閣、歴史と文化のある小さなまち鎌倉に降り立てば、独特のゆっくりとした時間が流れている。アクセスの良さと周遊しやすいサイズ感、豊富なアクティビティからますます観光客も増えている鎌倉では、鶴岡八幡宮に代表される表玄関の東側もさることながら、江ノ電に接続するローカルムードの強い駅の西側にも新たな旅の流れが来ている様子。そんな西側のメインストリートである「由比ヶ浜大通り」沿いに、以前は人力車の倉庫だった建物をリノベーションしたゲストハウス「Hostel YUIGAHAMA + SOBA BAR」がある。この通りで不動産と建築を中心にまちづくり事業を展開するエンジョイワークスがプロデュースしたこの宿泊施設は、鎌倉に何をもたらすのか?
「まちのラウンジ」的存在
年間約2128万人が観光に訪れる鎌倉だが、ここ数年で旅のスタイルが変化しているらしい。鎌倉といえば都心からの距離的にも日帰りで遊びに来る人が圧倒的に多い印象。もしくは修学旅行も含め、大型のツアーバスで観光名所を集中的に回る団体旅行を思い浮かべるかもしれない。ところが最近は、まるでこの地域に「暮らすように旅する」滞在型の個人旅行客が増えているという。1泊~長期と期間はさまざまだが「泊まる鎌倉」が注目を浴び、それに伴ってまちのいたる所に、いわゆるラグジュアリーなリゾートホテルタイプではない、バックパッカーでも気軽に泊まれるカジュアルな宿が増えてきた。そのような宿を利用する客が求めているのは、ガイドブックに大きく載っている有名スポットに行って写真を撮ることだけでなく、もう一歩深く、そのまちやそこで暮らす人に近づく体験、すなわち「Meet Local」だ。
そんな潮流が盛り上がる中、2016年8月にゲストハウス「Hostel YUIGAHAMA + SOBA BAR」はオープンした。
元は観光用の人力車の倉庫として使われていた空間は、間仕切りもなくガランとしていた。
古い蔵のような外観のこの建物は築40数年。元々はおもちゃ屋さんだったらしいが、その後、観光用人力車を夜間に保管しておく倉庫として使われていた。その人力車の会社が鶴岡八幡宮の近くに移転したため、がらんどうになったこの物件を持て余したと聞き、エンジョイワークスで活用することになった。
この建物がある場所は駅から徒歩7分、長谷の大仏様へ向かう大通り沿いという観光客にとっての好立地であると共に、昔からこの通りで商売をしている米屋、八百屋、飲食店、金物屋、布団屋、美容室といった商店が軒を連ねる、この地域に暮らす人々が生活の中で日常的に利用する商店街でもある。
地元と地続きのそんな場所で、外から訪れる旅人とローカルの人々が自然と交流できるスポットになったら面白いのではないか。単純な宿泊施設として宿泊客を囲うのではなく、まちに開かれたラウンジのような存在。異なるバックボーンを持つ旅人と地元の人が混ざり合うことで生まれる予期せぬ出会い、予期せぬ展開こそ、互いに最もワクワクするアクティビティになり得る。
「Mixture(ミクスチュア)=混ざり合う」をコンセプトに、リノベーションが始まった。
ふくやのトレードマークは「ダルマ」。店主のヤマカワ氏はこのダルマにそっくりの福の神みたいな風貌で常連客に愛されている。
旅人と地元の人が出会う仕掛け
エンジョイワークスがまず行ったのは、鎌倉で人気のある山形そばと日本酒の店「ふくや」の誘致だ。
宿泊施設というだけでなく、まちの人も利用できるラウンジにするには、飲食店としての顔もある方が良い。
ふくやを切り盛りするヤマカワマサヨシ氏はグラフィックデザイナーでもあり、自ら妥協なく考え抜いたセンスの良い店づくりと、出身地山形の恵まれた素材を生かした文句なく旨いそばやつまみ、日本酒によって、すぐに常連客を量産してしまう。鎌倉で彼が営んでいたカウンター6席だけの1号店は慢性的に行列ができていた。
そばと日本酒は年齢や国籍も問わず旅人にも地元の人にも喜んでいただけるし、この建物の蔵のような外観にもフィットする。ヤマカワ氏も以前から2号店を出したいと考えており、やるなら1号店と競合しない西側のエリアで、と希望していたためこのオファーは良い形で合意に至った。
由比ヶ浜大通りにあるエンジョイワークスの事務所で、湘南のクリエイターたちが一堂に会しミーティングを行った
湘南のクリエイターたちを集結
次に重要なのが、やはり建物の設計デザインをどのようにするかという点だ。
エンジョイワークスは一級建築士事務所でもあり、当然プロの設計士を複数抱えている。しかし、あえて自社だけでこのプロジェクトを完結させず、地元湘南エリアを拠点に活躍するさまざまな分野のクリエイターやアーティストに、このリノベーションプロジェクトに加わってもらうことにした。そうすることで出来上がる建物の品質が増すのはもちろんだが、この施設に「ジブンゴト」として関わるメンバーが増えれば、さらなる縁故の広がりも期待できるからだ。
石井さんが湘南の専門店でオーダーした藍染めの暖簾には、ロゴマークの三日月が浮かび上がる。
あえて和のテイストではないレトロな照明を合わせている。
施設全体の空間ディレクションは、横須賀にアトリエを持つ逗子在住のインテリアスタイリスト石井佳苗さんが担当。石井さんは、この建物の外観が蔵のようであるからこそ、室内はあえて「和」ではなく、さまざまなニュアンスの要素をミックスしつつ世界観をつくり上げる方が、意外性があって面白いと提案してくれた。日本のものはもちろん、洋の東西をも問わず、古い物も新しい物も縦横無尽に取り入れることで、時間も空間も超えた、まさに「Mixture」な室内に仕上がっていった。
逗子在住の画家 田中健太郎氏が、世界を旅しながら集めた小物や切符、絵本などを用いて、客室ごとに異なるコラージュを制作。
このゲストハウスには、客室をはじめあちこちに存在感のあるアート作品が散りばめられている。そのアートを制作しているのが、逗子在住の画家、田中健太郎氏だ。優れたアートが与えるインパクトは強い。設備面では豪華なリゾートホテルにはかなわないゲストハウスであっても、そこにアートがあることで空間のクオリティを高め、吸引力を発揮し、思わず誰かにSNS等で知らせたくなる行動にも駆り立てる。世界各地からさまざまな国の人が訪れる鎌倉の宿泊施設において、アートという言語を超えた存在が内包されていることは大きな魅力になるのだ。
エントランスの帳場は角材を1本1本積み重ね樹脂で固めたCALLACオリジナルの力作。
2階の床は既存のものを何度もサンディングし風合い豊かに仕上げた。
実際の施工や現場でのデザインアレンジを行ったのは、葉山を拠点に活躍している建築リノベーションの匠、CALLAC。商業施設から個人住宅まで幅広く手がけ、基本的な設備等の施工技術の確かさは言わずもがな、大工と呼ぶには余りある独創的なデザインのオリジナル造作にもファンの多いクリエイティブな職人チームだ。1階のエントランスからふくやのカウンターまで一続きになったモルタル調の床は、カチオンという下地材を丁寧に磨きながら塗り固められておりストイックな印象だが、その静謐を破るようにカウンター下に印象的なブリキの型枠パネルを貼っている。
また、宿の顔ともなる丁場は、角材を1本1本現場で積み上げながら樹脂で固めていったオリジナル。その根気のいる工程が次第に形として存在感を増していく中、触発された画家の田中健太郎氏は丁場の隣の壁に、この施設のシンボルにもなっている「終わらない旅の始まり」を予感させる壁画を描き始めた。そんなジャズセッションのような一コマも、クリエイターたちが競演しているからこそ生まれたものだ。
分野の異なる複数のクリエイターたちが互いに触発し合いながら、リノベーションの完成度を高めていく。
広い前庭は、鎌倉のさまざまな店舗や個人宅の植栽を手がけるhondaGREENが担当。
この建物の恵まれている点の一つは、広い前庭があることだろう。大通りから数歩の猶予があることで、訪れる人がいったん呼吸を整え、これから過ごすこの場所での時間や新たな出会いに思いを巡らすことができる。期待を自覚する時間が与えられるのだ。そんな大切な前庭は、鎌倉で多くの顧客を抱えるガーデナーhondaGREENによって、植栽や石の彩りと共に、入り口までの導線とレンタサイクルの置き場もレイアウトされた。
逗子生まれのグラフィックデザイナー福井直信氏が、画家 田中健太郎氏が描いた「ヒトコブラクダと月」を
ロゴマークのデザインに落とし込む。
施設のもう一つの大切な顔となるのが、ロゴマークやショップカードだ。実際の建物に足を運ぶまでに、客はウェブサイトやさまざまな媒体との接触を通してこの施設のことを知り、想像する。第一印象はその時点で決まると言っても良い。逗子生まれのグラフィックデザイナー福井直信氏は、田中健太郎氏が描いたシンボリックな「ヒトコブラクダと月」の絵をロゴマークへとデザインし、それを元にショップカードを制作。その形状は彼のアイデアによって、本や鞄と共に旅をしていく栞、あるいはラゲージタグ(荷札)を想起させるものとなっている。
エンジョイワークス一級建築士事務所の若手設計士 海野太一がプロジェクトリーダーを務めた。
以上のような個性あふれる湘南のアーティストやクリエイターたちと協業しつつ、この施設全体のリノベーション設計デザインと施工監理を務めたのはエンジョイワークス一級建築士事務所の若手設計士 海野太一だ。各分野に熟達した顔ぶれが揃う中で、あえてリーダーに若手を起用することによって多くのことを吸収させ早い成長を促す一方で、メンバーがアイデアや意見を言いやすい環境をつくるための工夫でもある。この大役に海野は果敢に挑戦し、メンバーの信頼を得ながらやり遂げた。それは設計士として図面を描くスキル以上に、表には現れ出ない数々の苦難を乗り越えようとする彼自身の努力と強い意志による突破力があったからこそ、なし得たことだろう。
施設のオープニングパーティーでは、地元鎌倉で活躍するミュージシャンたちがライブを披露。
箱の中に動きをつくる
こうしてHostel YUIGAHAMA + SOBA BARは開業の日を迎えた。そのオープニングから運営に携わり、現在このゲストハウスの支配人を務めているのが、エンジョイワークスの子会社グッドネイバーズに所属する渡部辰徳。それまで国際的な大型の有名ホテルからこだわりの詰まった小さな宿まで、規模を問わずホテル業界でキャリアを積んだ渡部は、自身が葉山に自宅を構えたことをきっかけに、生活の場でもある湘南エリアに仕事の軸を移した。
大手の有名ホテルから個性的な小さい宿まで、さまざまな宿泊施設でキャリアを積んだ支配人の渡部。
爽やかなホスピタリティが多くのお客様を魅了する。
その渡部に、実際の客層を聞いてみると、
「日本人のお客様が7割、外国のお客様が3割という感じです。最近はアジアの方だけでなくフランスやイタリアなどヨーロッパのお客様も多くなりました。予約は自社サイトに加え、Booking.comなどの海外向けサイトから。ふくやを利用してくださるまちの人からの紹介もあるので、良い協業関係が生まれていると思います。僕らも宿泊のお客様には必ずふくやをご案内しますから」
8床の2段ベッドからなるドミトリーを貸し切る「ドミ会」が人気。ふくやで飲んで10歩でベッドというのはこの上ない魅力!
渡部がドミトリーの稼働率を高めるために企画したのが「ドミ会」だ。1階にある2段ベッドのドミトリーは8床あり、気心の知れた友人たちと貸切って宿泊するのにちょうど良い。まずはエンジョイワークスの女子社員たちにお願いしてお試し宿泊してもらい、そこで吸い上げた改善点を元に、ふくやでの宴会と組み合わせて利用することでお得になる内容・料金設定で告知を開始すると、すぐにこのゲストハウスで最も人気のある宿泊プランになった。
「ドミ会は、当初想像していた通り、女性の方々のお泊まり女子会として利用されることが多いです。たまに男だらけの男子会も入りますけどね(笑)思った以上に多いのは、職場の仲間と鎌倉に泊まって仕事の打ち上げをする、というお客様や、昔の職場の同期会などで利用してくださるお客様。ドミ会のテーマは“よみがえれ!僕らの青春”ですから(笑)修学旅行や部活みたいに仲間と一緒に飲んで泊まって、って非日常の楽しさがありますし、良い思い出にもなりますよね」
ドミ会に象徴されるように、ゲストハウスとふくやは持ちつ持たれつの相乗効果を発揮している。朝食、ランチタイム、夜は居酒屋として営業しているふくやには、宿泊客と地元の住民がいつでも自然に居合わせ、スタッフが雰囲気を見ながらうまく間を取り持つことで実際に交流が生まれている。店が賑わえば、活気に惹かれて新たなお客さんも入ってくる
。
前庭はここで何かをやりたい人に向けて貸し出している。
写真は独立を目指すバリスタと、お菓子づくりを行なっている鎌倉の女性によるイベントの様子。
貸しスペースとしての活用
建物の前面にある庭は、ここで何かをやってみたい人が利用できる「貸しスペース」としても稼働させている。例えば、まだ店舗を持つには至らないがいつかは独立開業を志す人に、鎌倉の由比ヶ浜大通りという人通りのある立地を生かしてマーケティングを兼ねながら自分の商品やサービスを提供するチャレンジショップを開いてもらうというような使い方だ。すでに何組もの利用者がイベントやワークショップを開催しており、そのつながりから今後の広がりも期待できる。
古い建物を新しい用途で作り変えるだけでなく、その中にどのような「場」を生み出すか。
そのための仕掛けと運営がリノベーション成功の最大のポイントでは。
このように、Hostel YUIGAHAMA + SOBA BARは、単純に建物を作り変えただけでなく、その中で何を行うのか、どんな動きを生み出すのかまでを含めて、「場」としてのリノベーションを果たした事例と言える。旅人、移住者、地元住民、事業者を含めた多様なレイヤーの人々が混ざり合うこの場所で「Mixture」による渦が巻き起こす新しい展開は、属性によって分断されがちなまちの有り様を面白い方向へリノべーションしていくムーブメントの始まりとなるのかもしれない。
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*Hostel YUIGAHAMA + SOBA BAR 公式サイト
https://hostelyuigahama.com/