旧東伏見宮葉山別邸継承プロジェクトご寄付のお願い

旧東伏見宮葉山別邸

東伏見宮依仁親王の別邸として、大正3年(1914年)に竣工。依仁親王は、伏見宮邦家親王の子として生まれ、明治36年(1903)年に東伏見宮家を創立しました。イギリス、フランスに留学した後、海軍軍人として功績をあげられました。​

かつては宅地のみで2,602坪、畑山林を含めて8,566坪の広大な敷地に、2階建洋館1棟、2階建和館1棟、平屋建和館1棟が建ち、その他数棟の付属家、温室、四阿などが建てられていましたが、現在は洋館のみ現存しています。依仁親王逝去後も別邸として存続しましたが、昭和28年(1953年)頃、イエズス孝女会修道院に譲渡され、2回の改修を経て今日に至ります。​

葉山の別荘文化を象徴する「別邸」

湘南エリアにある唯一の皇族別荘、旧東伏見宮葉山別邸。いまから110年前、1914(大正3)年竣工で明治から大正期にかけて流行した洋風建築の影響を受けながらも、日本的な要素も大切にしている洋館です。宮内省内匠寮の木子幸三郎が設計しており、2017年には国の登録有形文化財になっています。緑青と言われる銅が酸化した深みのある色の屋根と白い外壁が特徴的で、大きな窓と海見えの廊下(サンルーム)からは相模湾が臨めます。最初の“持ち主”である東伏見宮依仁親王の没後も別荘として機能しましたが、戦後、イエズス孝女会による管理運営に引き継がれ、修道院として使われていました。現在は幼稚園の敷地にあり、馴染みのある卒園児や保護者、地域の方も少なくありません。

「洋館」と言われる日本独自の洋風の建物は明治時代以降、西洋の建築技術やデザインが取り入れられてきました。多くの技術者が招かれ、その指導のもとで華やかな装飾や柱、広い窓が特徴の洋館が建てられたのです。大正期はアール・ヌーヴォーやアール・デコといった装飾性の高いデザインが“流行”し、官邸や公共施設、富裕層の住宅として広がりました。昭和に入ると、単なる西洋建築の模倣にとどまらず、日本の伝統的な建築文化と融合し、独自の「和洋折衷」スタイルを築き上げました。これらの洋館は明治以降の日本の歴史や文化の変遷を象徴する建築物として、現在も保存・活用が進められています。

ただ、そういった建物を守り継ぐのはとても大変なこと。国や自治体の登録文化財として指定されているものも少なくないのですが、だからといって保存や利活用の道筋に課題がないわけではありません。竣工から100年前後経った建物も多く、老朽化に直面しています。さらに、耐震対応のほか、当時の意匠や歴史的価値を守りつつ補修していくには多額な費用が掛かります。独特の間取りや構造のため、利活用の方法にも制限が出てくるでしょう。所有者の高齢化により、自治体に移譲するようなケースもありますが、「誰が」「どのように」維持していくのか。これらに対応するための支援制度や地域との連携がますます重要になっています。

一般社団法人La Casa Blanca Hayamaの設立

そしてこの「別邸」も例に漏れず、維持管理の課題を抱えていました。そこで、立ち上がったのが地域の方々。建築の専門家や地元のまちづくりNPOの方々などの有志が集まり、約1年間の準備期間を経て、今年9月に一般社団法人La Casa Blanca Hayamaを設立しました。現在は、改修工事に着手する段階で、私たちエンジョイワークスも地元企業として、かつ「持続可能なまちづくり」をあちこちで挑戦している立場として、一社の運営にも携わっており、利活用の計画策定も佳境。「この空間をどのように・どんな時に使えるか?使いたいか?」など、さまざまな意見を頂きながら練っています。

9月に実施した改修前最後の「施設お披露目会」には、地元の方や卒園児など幼稚園関係者のほか、こうした洋館や別荘建築に関心のある方が県外からも多く訪れました。私たちも「葉山の宝」であるこの建物を守り継ぐ責任の重さをひしひしと感じています。

─地域の人びとに開かれた別邸に─
改修後はウェディングや音楽会などの利用やまなびの場として…

♢旧東伏見宮葉山別邸についての記事

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