地元民も秘境という、たった2軒の集落を宿に。「暮らすように泊まれる」集落で伝えたい未来への学び
楢山集落 - Narayama Planetary Village- プロジェクト
「10年後には消滅してしまうのではないか。」
高齢化率が60パーセントを超える山深い豪雪地域、西会津町奥川郷。
そのさらに山の上の雲海を見下ろすような場所に、たった2軒しかない集落、楢山集落があります。
その集落を、「暮らすように泊まれる」宿にリノベーションします。
楢山集落や、周辺の集落が消滅の危機にある現状を変えるためには、新たな生業が必要です。そして、その生業を通じて、忘れ去られようとしている日本の原風景が持つ可能性を広く伝え、 多くの人が関われる集落にしなければなりません。
その第一歩目が、この「暮らすように泊まれる」宿づくりです。集落内に点在する古い蔵と納屋を宿泊棟、見渡す限りの田畑や里山などは広大な庭として、訪れた人たちが、まるで住人になったように、自由な時間を過ごせる集落。
空に近く、自然と人間の関係性が強く感じられる日本の原風景の中で、「暮らすように泊まれる」体験を通じて、現代人が忘れてきてしまった「何か」を見つけてほしい。
これは、ランドスケープアーキテクトであり、楢山集落を受け継ぐ19代目の矢部佳宏が、人生の作品として取り組んでいる持続可能な未来の集落づくりプロジェクト、楢山集落 -Narayama Planetary Village- プロジェクトのプロローグです。
このような集落を、未来に継承したい
一般社団法人BOOTの矢部佳宏と申します。
私は、福島県西会津町にある、西会津国際芸術村という、アートやデザインの力で地域再生に取り組むクリエイティブセンターのディレクターを務めています。国内外のアーティストや、様々なクリエイティブ人材を集め、西会津町の魅力を引き出すアート展示やワークショップを行ったり、空き家のリノベーションや移住相談、過疎地での起業アイデアを生み出したりしています。
そんな私は今、地元でも秘境と言われる、たった2軒の楢山集落に住んでいます。江戸時代の万治3年・1660年に私の先祖が開拓した集落で、矢部家は私で19代目となります。標高が高い山の中腹にあり、視界が大きく開けている集落なので、空がとても近く感じます。棚田越しに山々を見下ろす眺めは絶景で、朝起きると家の前から雲海を望め、夜は満点の星空と天の川に包まれるような感覚になれます。
私は、ここの集落に「暮らすように泊まれる」宿をつくって、たくさんの人に訪れてもらい、この集落の魅力を多くの人に伝え、未来に継承する仕組みをつくりたいと思っています。
ランドスケープアーキテクトとしての、人生の作品
私は、以前は海外でランドスケープアーキテクトをしていました。
直訳すると、『風景建築家』という意味の職業で、人間社会と自然との共存を図りながら、新たな風景を生み出していくという専門分野です。
庭の設計から公園デザイン・都市計画・緑地計画など幅広い領域に関わってきました。
実は、私がランドスケープアーキテクトを目指したのも、元はと言えば今から20年前の学生時代にこの楢山集落の風景研究をし、その際に風景デザインの考え方の基礎を学んだことがきっかけでした。
それは、
・伝統的な集落での里山と共にある暮らしが、自然をうまく活用した、持続可能なデザインであったこと。
・そのデザインを維持して来たのは、先祖代々継承されてきた価値観や、暮らしの中に何気なく織り込まれた文化であった。それが里山と共生していく知恵であり、コミュニケーション手段であり、そこにある様々な生き物の存在を許しつつ、人間の暮らしも成り立つようにバランスをとってきたということ。
・目に見える風景の中に、水源から食べもの、道具から家まで、自分をカタチづくっているものが全てあることが感じられること。
・山の神様からお墓まで歩くと、自分が生まれてから死ぬまでがあたかも目に見えるかのように、先祖代々、自然と共に生きてきた感覚が得られたこと。
このように、伝統的な集落は、限りある資源をうまく循環させて人々の暮らしを持続可能とする一つの生態系としてデザインされていて、「集落が、一つの惑星のようだ」と捉えられるようになりました。
同時に、今我々が生きている時代に生み出されている風景や、数多くの環境問題を抱える現代社会には、その“美しさ”がうまく引き継がれていないとも感じるようになりました。
私は、ここで学んだ人間と自然の関係性をベースに、現代の利便性やテクノロジーなどをうまく活用しながら、子供たちの未来に必要な風景を深く考えてデザインしたいという想いが生まれ、それが私のランドスケープアーキテクトとしての軸となる考え方を形成してくれました。それは、海外で都市デザインをする際にもベースとなり、様々なプロジェクトでとても役に立つことになりました。
しかし…
東日本大震災で、今まで普通にあった風景が一瞬にして消え去る姿をみた時、そしてそれが同じ福島県で発生したということもあり、今、自分にできることは、自分のルーツであり、自分にとって大切な風景の未来をつくることだ、と思い立ち、5年前に戻ってきました。
ただし、楢山集落のある奥川郷は会津地方の中でも最も山深い秘境と言われる豪雪地域で、住んでいる人たちでさえ、あと10年で消滅してしまうのでは、と囁くようになっていました。そんな場所で、どうしたら先祖から受け継いだ風景を守っていけるのか。小さい頃から祖母に言われ続けた言葉が頭をよぎります。
「お前は、この家の跡継ぎだ。ここの山も田んぼも畑も、全部お前のなんだから、絶対にここに戻ってこいよ。だけどな、ここで食っていくのは難しいぞ。」
あの震災をきっかけに、昔の暮らしや、自然に寄り添った暮らしを見直す動きは、震災以前よりも多くなったと思います。そして、私が楢山集落で20年前に学んだように、そこには、未来に必要な学びが沢山あると思います。ですが、今の私たちの暮らしは、集落が“惑星のようであった”近代以前の、車も電気もない時代とは大きく変わっています。小さな棚田の風景も、農地の近代化により大きな棚田になりました。私も今、この集落に暮らしてはいますが、都市部と大きく変わらない、現代的なインフラに頼った暮らしを営んでいます。そして農林業を生業としているわけでもないので、手を入れられない山や田んぼが増えたことにより、集落の生態系は、かつてないほどにそのバランスを崩しています。
ですから、ここに宿のオープンさせることで、集落での新しい生業をつくり、それをスタート地点として、かつての暮らしと今の暮らしの良い点をうまくつなぎ合わせながら、新しい集落の風景をデザインしていきたいのです。
そこには、新しい集落の住民=ずっとここに暮らすのではなく、ここの暮らしを体験し、その魅力を伝えてくれる沢山の人との関わり、をつくりだしていく必要があると思いました。そして、この集落で感じられる楽しみや豊かさを、より多くの人と一緒に体験することが重要ではないかと思いました。
そういう新しい人の流れを生むことにより、消滅の危機を脱することができるのではないか。また、私がかつて「集落そのものが、一つの惑星みたいだ」と感動した、人間が自然の仕組みをよく理解した上で生み出した風景の美しさを、また新しいカタチで生み出していくことができれば、集落の存在意義が明確になり、その価値が高まるのではないか。それが、この楢山集落ーNarayama Planetary Village Projectー(惑星のような楢山集落プロジェクト)のを立ち上げた理由です。
*プロジェクト名称に使用している「Planetary Village(惑星のような集落)」は、自らの集落研究で感じたことに加え、フランスのランドスケープアーキテクトであり哲学者である、ジル・クレマン氏による「Planetary Garden(惑星のような庭)」の考え方にも強く共感し、着想を得たものです。
築130年の「蔵」と「納屋」を宿泊棟に
現在リノベーション中の宿泊施設は、築370年といわれる古民家(自宅)に付随する築130年の蔵と納屋です。時を超えた建物の表情や風情を可能な限り残し、この土地をより身近に感じてもらえるようなデザインとしています。
風化した柱や土壁で覆われた宿の中には、楢山集落をテーマとしたサイトスペシフィック(その土地の個性や記憶が強く感じられる)なアートや、古材・古民具などを素材として使ったオリジナルの家具などを配置します。これにより、古さと新しさが融合した、時間を超えたような空間を感じて欲しいと思っています。
「納屋」の宿泊棟は、一つの建物が2階建の2棟に別れています。桧の香りがするお風呂は、山々を見下ろせる2階に設置、運が良ければ、雲海や夕焼け、満点の星空を眺めながらゆったりとくつろぐことができます。お湯は、現在放置されている裏山を健全な状態として活用できるように、間伐や択伐した木々などを熱源にした薪ボイラーで沸かすシステムを導入しました。薪で沸かしたお湯は、体の芯まで伝わるような温かさです。このように、より多くの方がお泊まりになればなるほど森林に手が入り、集落の生態系を回復できるような仕掛けとしていきます。
コテージ型の宿なので、自分のペースでゆったりと時の流れを感じながら、集落の雰囲気や景色を楽しむのも良いですし、”ご近所さん”としてこの集落の住民でなければ知らない体験を沢山していただくこともできます。
山菜などの宿周辺の食材を好きなように調理できるようにキッチンや調理道具も備え付けていますし、地元のおばさんたちがつくる郷土料理をお届けしたり、一緒に作ったりすることもできます。
もちろん、屋外でバーベキューなどを楽しむこともできます。
満点の星空の下でバーベキューをしながら、ギターを片手に歌をうたったりと、グランピングのような滞在をすることも可能です。
現在、耕作放棄状態にある田んぼや畑もありますが、この宿を起点として少しずつまた開拓し、湧き水や山の神様の鳥居を復活させたり、里山に野草やハーブのレイヤーガーデンをつくったりと、終わることのない風景づくりが始まります。
「蔵」をリノベーションした宿泊棟は、一棟貸切スタイルです。かつては全て自家製だった味噌や醤油を貯蔵していた、発酵文化の基地である蔵。分厚い土壁で覆われているので、断熱・遮音性にも優れていて、夏涼しく冬暖かく感じます。また、蔵独特の静寂の中で、あたかも自分が熟成されるかのように本を読みふける時間を過ごすこともできます。
すくそばには小川が流れていますので、窓を開ければ心地よいせせらぎの音を聴きながら過ごすこともできます。蔵の歴史を感じながら、山籠りするように静かに滞在するのには、適しているかもしれません。
楢山集落のすぐ背後には、飯豊連邦を眺める展望台としても有名な高陽山(1127m・うつくしま百名山・会津百名山)がそびえています。とくに残雪期の頂上での眺めは最高です。テレマークスキーをしに登山される方も多数いらっしゃいますので、登山の基地として滞在していただくのも良いと思います。
その他、町内の人でも知らない史跡や、山の神様が出てきそうな池など、地域に伝わる民話などとも合わせて、集落周辺の様々な景観をご案内したいと思っています。
朝起きて雲海を眺めることができる集落に暮らす経験は、なかなかないと思います。たくさんの野生動物や、猿の群に遭遇することもあるでしょう。
楢山集落に暮らすように泊まることで、懐かしさを感じる方、新鮮な体験となる方、学ぶこともあれば、自分の中の「何か」を思い出す方もいらっしゃるかもしれません。逆に、我々に昔の暮らしについて教えてくださる方もいらっしゃるでしょう。
私は、驚き、発見、懐古、癒し、学び、等々、様々な感動がより多くの人に生まれるよう、少しずつ様々なシカケつくっていきたい思っています。そして、現代社会が過去に忘れてきてしまったかもしれない「何か」を見つけてくださったなら、その魅力をシェアしていただき、日本中、世界中に存在するこのような集落を未来に継承する知恵として、育んでいければと思っています。
矢部佳宏プロフィール
1978年西会津町生まれ。
一般社団法人BOOT代表理事。西会津国際芸術村ディレクター。
マニトバ大学大学院ランドスケープアーキテクチャー修士(カナダ)首席修了。
長岡造形大学大学院で持続可能な集落風景について研究した後、(株)上山良子ランドスケープデザイン研究所で修行。その後、studio CLYNE(カナダ), NITA DESIGN GROUP(上海)等で庭や緑地、都市ランドスケープデザインなどに携わるが、震災を機に自らが19代目となる西会津町奥川の楢山集落にルーツターン。西会津国際芸術村を拠点に、クリエイティブ人材や地域の文化DNAを資本とし、アートプロジェクトや空き家再生拠点ネットワークによる新たな町の骨格づくり、古民家宿を拠点とした集落再生など、町全体の持続可能なランドスケープ再構築にも取り組んでいる。
西会津国際芸術村について
http://nishiaizu-artvillage.com/