平野邸オーナーYakkoの葉山暮らし回想記 -Vol.10-(前編)

神奈川県三浦郡葉山町にある平屋の古民家を活用し、みんなで宿づくりに取り組むプロジェクト「日本の暮らしをたのしむ、みんなの実家」は、この古民家で生まれ育ったオーナーYakkoさんの「家族の想いを引き継いで家を残していきたい」という想いから始まりました。「葉山暮らし回想記」は、そんなYakkoさんによる連載シリーズ。今回は前後編に分けて「戦前戦後の葉山での遊びとあこがれ」をテーマにお届けします。

後編はこちらからご覧ください。


ご無沙汰しております。Yakkoです。新型コロナの感染拡大から2年が経ちますが、みなさまはいかがお過ごしでしょうか。

私は相変わらず、ミシンに向かったり、刺繍をしたりの自粛生活です。3回目のワクチン接種はまだなので、自作のマスクを不織布マスクの上に重ねて着用しつつ、感染予防に力を入れていこうと思っております。相変わらず、お友だちとは自由に会えず、LINEやメールでやりとりしてコミュニケーションを図っています。

昨年12月には感染状況が収まっていたこともあり、平野邸で亡き姉の法事を行いました。昨年、参加できなかった遠方の親戚を呼び、平野邸に宿泊してもらったのです。

遠方の親戚とは、私の一番上の姉の子どもたち、つまり甥たちになります。姉と私の年齢差は14歳なのに、甥たちとは10〜13歳くらいしか離れておらず、私にとっては姉より近しい存在でした。

私が幼児のころ、一番上の姉は家を離れていました。専門学校で英語を学ぶため多摩地域の学生寮に入っていたのです。卒業後、葉山に束の間帰ってきたものの、私が小学2年生のときには関西に嫁ぎました。

けれども甥たちが生まれると、姉はしょっちゅう子どもや夫、姑まで連れて葉山に里帰りするようになります。私も甥たちと一緒に、よく出かけたり、遊んだりしていました。

アニメ「サザエさん」のカツオやワカメが、姉のサザエとではなく、サザエの息子、つまり甥にあたるタラちゃんと遊んでいるようなものです。当時はどこの家も子どもが多く、兄弟や姉妹より甥や姪とのほうが年齢が近いことはめずらしくありませんでした。

姉は葉山へ戻ってくると、すっかり娘時代に戻ってしまいます。子どもたちの面倒は妹や弟たちに任せ、母の上げ膳据え膳で、一日中家でゆっくりしていました。おまけに関西に戻る日が来ると、どういうわけか必ず熱が出る。こうして実家滞在をできるだけ引き延ばし、帰阪をずるずる遅らせていたのです。

ですから甥たちにとっても、葉山と平野邸は休みのたびに過ごした懐かしい場所です。とくに夏休みは長く滞在していました。兄弟で葉山の小道をたどって海まで海水浴に行ったり、かくれんぼをしたりして、自由に遊びまわったものです。そんな思い出深い大切な家なので、取り壊さずに残せたことをとても喜んでくれました。

この家で最後まで一人暮らしをしていた2番目の姉も、かわいがっていた甥たちが久しぶりに泊まりに来たので、草葉のかげで喜んでくれていると思います。


親戚にとっては久しぶりの葉山です。法事はまず、平野邸Hayamaの見学会から始まりました。幼少期に訪れたころとあまり変わっていないので、みんなおどろいていました。その後、近くで暮らす3番目の姉や葉山小学校で私と同級だった友だちもやってきます。奥の会議室に集まり、姉たちの幼少期の映像を上映しながら日影茶屋のお弁当をいただくことにしました。

もとは8ミリで撮影された映像ですが、デジタルデータに変換のうえ、編集され直しています。亡くなった姉たちや昔の葉山をめぐる思い出話をみんなで楽しみました。

3人の姉はそろって「樺太」生まれです。ロシアのサハリン島になって久しいので、樺太という名称を知る人も少なくなりました。姉たちが生まれたのは、大泊(おおどまり)という港町。今はコルサコフと呼ばれます。甥たちは母親、つまり1番上の姉から、よく樺太のことを聞かされたそうです。

日露戦争のあと、樺太の半分は日本領になりました。もっとも大泊には日本人だけでなく、いろいろな国の人たちが住んでおり、ロシア人が経営するおいしいケーキ屋さんやパン屋さんに、足しげく通ったとか。一番上の姉は小学校の途中で葉山に越して来たので、記憶も鮮明だったのでしょう。

2018年に2番目の姉が亡くなったあと、平野邸を片付けていたとき、樺太時代に父が興していた「平野材木店」の法被(はっぴ)が2枚出てきました。どちらも真新しいものです。

そのうちの1枚を、解体してエコバッグに作り直しました。たまたま今回の法事にも持って行ったのですが、これには甥たちも感動していました。

おどろいたのは、90歳になった3番目の姉の反応です。姉は3歳ぐらいで樺太を離れたので、現地のことはほとんど何も覚えていないはず。おまけに最近は、認知症ですっかり反応が鈍くなっています。

そんな姉が、エコバッグを見るなり目を輝かせて「樺太大泊 平野材木店」と大きな声で読み上げたのです。みんな「三つ子の魂百まで」は本当だと感動しました。


エコバッグの裏地には、古い風呂敷を使いました。こちらには「がらす屋呉服店」という屋号が入っています。がらす屋は樺太ではなく、葉山にあった店です。蔵をリノベーションした一棟貸しの宿泊施設「Bath & Bed Hayama」のあたりにあったと記憶しています。

今回の法事では、みんなで一緒に泊まると「密」になりそうなので、甥たちが平野邸に滞在している間、私たちはBath & Bed Hayamaに泊まりました。

Bath & Bed Hayamaは想像を絶する不思議なホテルでした。

私たちの世代の感覚だと、蔵はあくまで物置や倉庫、あるいは座敷牢という暗く、狭いイメージです。いくら改装したとしても、宿泊施設になるとは想像しにくかったのですが、入ってみると狭苦しいどころか、豪華なジャグジー風呂まであり、高原の山小屋に来ているような気持ちになりました。

備え付けられたNetflixをひとしきり楽しんだ後、「昔、この辺りに『がらす屋呉服店』があったなあ」と思い出したのです。間口が広く、道路に面しているところが、すべてガラス戸になっている店でした。

ガラス屋ではなく呉服屋だったのに、屋号が「がらす屋」だったのもそのためかも知れません。そのころのお店は屋号の入った風呂敷をお客にサービスしていたのです。今ならエコバッグを配るようなものですね。

Bath & Bed Hayamaのある葉山元町商店街には、ちょっとおしゃれな雑貨を売る「くらげ堂」というお店もありました。戦後、私が一人で買い物に行けるようになったころには閉店してなくなっていたのですが、3人の姉たちは戦前、かわいい小物を買うために通いつめていたらしく、私も「くらげ堂」には憧れていました。

平野邸Hayamaの1階奥は会議室になっていますが、昔、この部屋のガラス戸には、きれいな花や動物の写し絵(転写シールのようなもの)がいろいろ残っていました。姉たちが「くらげ堂」で買ったものに違いない、私はそう思って眺めたものです。

戦前、葉山は別荘地や保養地でした。裕福な家庭の子が休みのたびにやってきたり、養生中の親と一緒に暮らしていたりしたのです。くらげ堂は、そんな子どもが喜ぶような雑貨をそろえた、気の利いたお店だったのでしょう。

姉たちと私とでは、年齢がだいぶ離れています。そのうえ戦争が間に入っているので、葉山の町をめぐる思い出も同じではありません。姉たちの幼少期は戦争前の豊かな時代で、お店にも物が豊富に並んでいました。しかし、戦中、戦後に物心がついた私にとっては、どの店にも物がないのが当たり前でした。
商品棚といえば、ガランとした空っぽのものというのが記憶の原点です。

往時を懐かしむ姉たちのおしゃべりを又聞きし、豊かな生活を想像してはみたものの、それは海の中を漂うクラゲのように、実感のわかないもの、よく分からないものでした。手がかりになりそうなものは、姉たちが大切に箱に入れて持っている、めずらしい小物や美しいボタンぐらい。ときどき見せてもらうと、うらやましい思いでいっぱいになったものです。

けれども戦争が激しくなれば、かわいい小物どころではありません。そして戦後になってみると、くらげ堂はいつの間にか姿を消していたので、ここで買い物をする夢は、とうとう叶いませんでした。

とはいえ終戦直後、人生初の買い物をする機会がめぐってきます。私は小学校に入ったばかり。本当に食べ物も何もない時期でしたが、あるときクラスの友だちが「葉山の元町で塗り絵を買った」と教えてくれたのです。帰宅後すぐに母からお金をもらい、元町の商店街まで走っていきました。

昔の旭屋牛肉店(そのころは商店街の中心部、横浜銀行の近くにありました)の斜め前あたりのお店です。棚にはほかに何も商品がなく、「きいち」という名前の塗り絵が置いてあるだけ。こうして念願の塗り絵が、ついに手に入ったのでした。

「きいち」とはイラストレーターの名前です。ちょっと太めの女の子の絵が得意で、戦前に人気がありました。家の2階にはいつのころからか、きいちの描く女の子を思わせるお人形が飾られていました。私たちは「フランス人形」と呼んでいたものの、本物のフランス人形とはまるで違っています。太い足首などが「きいち」のイラストそっくりでした。

(後編はこちら


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