平野邸オーナーYakkoの葉山暮らし回想記 -Vol.10-(後編)

神奈川県三浦郡葉山町にある平屋の古民家を活用し、みんなで宿づくりに取り組むプロジェクト「日本の暮らしをたのしむ、みんなの実家」は、この古民家で生まれ育ったオーナーYakkoさんの「家族の想いを引き継いで家を残していきたい」という想いから始まりました。「葉山暮らし回想記」は、そんなYakkoさんによる連載シリーズ。今回は前後編に分けて「戦前戦後の葉山での遊びとあこがれ」をテーマにお届けします。

前編はこちらからご覧ください。


葉山の元町商店街にあった「きいちの塗り絵」は、私の初めての買い物になったわけですが、初めて入った喫茶店も、森戸橋のすぐ近くにある「菊水亭」でした。

終戦からしばらく経ち、少しずつ世情が落ち着いて来たころのこと。菊水亭が再開したというので、夏のある夕方、姉たちと散歩がてら出かけました。近所の仲の良い家の姉妹たちも一緒です。当時の菊水亭は、よしず張りの屋根のもと、地面に簡単な椅子とテーブルが置いてあるだけ。でも森戸川からの夜風が心地よく、明るい電球の光が新しい時代を照らしています。

私が注文したのは、夢のように冷たいかき氷。「レモコ」という名前がついていました。30年あまりあと、ランチをしに再び菊水亭を訪れたことがありますが、洒落たイタリアレストランになっていたのには、時代の変遷を実感しました。菊水亭での輝いたひとときは、暗い戦争の後だっただけに、80歳を過ぎた今でも脳裏に焼きついています。

数年が過ぎ、私も中学生になりました。日本も徐々に復興が進み、ユニオンの出口近く、亀井戸橋の横に小さな本屋が開店します。お休みの日には、ここに通い詰めたものです。1950年のクリスマスに創刊されたばかりの岩波少年文庫や、川端康成も寄稿したことのある雑誌「少女の友」、講談社の少年少女向けの本などがお目当てでした。アレクサンドル・デュマのダルタニアン物語も、この店で全冊そろえています。

1954年になると、『ジュニアそれいゆ』という少女向けのおしゃれな雑誌が創刊されました。画家で、ファッションデザイナーでもあった中原淳一さんが編集長。中原さんの描く目の大きな美少女と、垢抜けたファッションは、私たちの間で大人気になります。

亀井戸端の本屋は数年で閉まったと思いますが、今度はBath & Bed Hayamaの斜め前に、「幸福堂」という本屋が開店します(亀井戸橋の店が移転したのかも知れません)。私の娘も覚えているくらいなので、平成になっても営業していましたが、やはり閉店してしまいました。

コンビニというものがなかった当時、幸福堂はあの周辺で本や文房具を置いている唯一の店でした。本好きの私は、一冊買うたびに文字通り幸福な気持ちになったものです。

元町商店街のある通りに来るのも久しぶり。いろいろと新しいお店が出来ていて、目移りしそうでした。Bath & Bed Hayamaに泊まった翌朝、道向かいにある店(before sunset)からコーヒーをテイクアウトすることにしたら、わざわざ店員さんが蔵の入り口まで届けてくれました。

Bath & Bed Hayamaの隣には、パスタとピザの店「Fatty’s」があります。2番目の姉が生きていたころから、ここは私たちのお気に入りでした。葉山に遊びに行くたび、しょっちゅうテイクアウトを頼んでいたのですが、今回もピザやサラダを届けてもらい、平野邸で甥たちとイタリア風のディナーを堪能しました。

子どものころにあったお店は、今ではほとんど残っていません。ただし旭屋牛肉店さんは例外の一つです。当時の旭屋さんは、すでに書いたとおり、今の場所ではなく、横浜銀行の近くにありました。御用聞きが家にやってくるので、注文してお肉を届けてもらうのです。当時はクリームコロッケなども、家で母が作っていました。

ところが1950年代後半になると、小さな甥たちを連れた1番上の姉が、ひんぱんに里帰りするようになります。母の手作りコロッケでは、さすがに追いつきません。食べざかりの孫たちのために、母は旭屋さんにコロッケも注文するようになりました。

そんなわけで、甥たちにとっても旭屋のコロッケは思い出の味です。子どもたちが成長して独立したあと、姉は一人で葉山に来るようになるものの、必ず旭屋でコロッケを買っては、お土産として息子たちの家に送っていたとか。今回、関西から法事に来た甥夫婦も、旭屋のコロッケを自宅にお土産として送っていました。「三つ子の魂百まで」は、やはり本当のようです。

旭屋さんとはお肉やコロッケだけでなく、ベビー服でも縁があります。今では店の人たちも知らないでしょうが、旭屋さんのご主人(先代になっているかも知れません)が生まれたとき、私の兄が使ったレースのベビー服を差し上げたのです。兄が生まれた1936年は、日中戦争もまだ始まっておらず、物資は豊富にありました。待望の長男の誕生に喜んだ両親は、レースのベビー服を着せ、百貨店で写真を撮ったりしていたのです。

しかし数年もすると、日本はすっかり戦時色が濃くなり、レースのベビー服などは手に入りにくくなってしまいます。1941年暮れ、太平洋戦争に突入したあとは、だんだん食べ物にも不自由するようになってゆきました。
そんな中で、旭屋さんは良いお肉や小麦粉が入ると連絡してくれたのです。戦地に夫を取られ、食べ盛りの子どもを5人も抱えてシングルマザー状態だった母は、ずいぶん助けていただいたと言っていました。
旭屋さんのご主人が生まれたのは、戦争も終わりに近づいたころ。食料の調達で大変お世話になった母は、せめてもの感謝の気持ちをベビー服に込めたのでしょう。

行啓道路(御用邸へ向かうバス通り)の方にも、思い出深いお店がありました。

平野邸Hayamaを出て、昔ながらの円柱型をした郵便ポストのある上の道に出ると、今でも何軒かお店があります。私が子どもだった戦後初期はもっと店が多く、パン屋さん、八百屋さん、魚屋さんなどが軒を連ねていました。海辺の元町まで行かなくても、一通りの食品は買いそろえることができたのです。

その中に、子どもたちのたまり場になっていた店があります。屋号は「おもちゃ屋」さん。玩具店よりも駄菓子店に近かったのですが、「おもちゃ屋」の看板を掲げていました。戦前からの店で、場所は向原の信号のところ。戦争直後は物資欠乏で、店内には何もなかったものの、数年後には大きなガラス瓶の中にアメ玉を入れて売るようになります。

やがて夏になると、かき氷も売り始めました。氷をけずる機械を店に備えつけたのです。おもちゃ屋さんは、かなり長いこと営業を続けていたので、甥たちはもちろん、娘も小学生になったあと、ここでアイスを買っていました。

昔は移動販売も盛んでした。今でいえばキッチンカーにあたりますが、屋台やリヤカー、あるいは自転車で回るのが普通。たとえば夜鳴きそば。客寄せのために声をあげたり、チャルメラという笛を鳴らしたりするのが、夜に鳴く鳥のようだというのでこの名前があります。「そば」といっても、実際に売るのはラーメンでした。

焼き芋屋さんや、おでん屋さん、豆腐屋さんなども、食べ物を家の近くまで売りに来ました。食べ物だけでなく、竿竹(さおだけ)や金物などの移動販売もあり、物売りの声が響いてくると、買いたい人たちが家から財布を手に出てきたものです。

焼き芋屋は今でも、冬になると車で回っているのを見かけますね。十五年あまり前ですが、『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』という本が話題になったこともあります。

わが家ではお豆腐屋さんの「ナット、ナット〜」(納豆のことです)という声を聞くと、朝のお味噌汁に入れる出来立てのお豆腐を買いに行きました。お鍋やボウルなどを持って行き、水と一緒に豆腐を入れてもらうので、家まで持って帰る間に、転んでこぼしたりしないよう、気をつけねばなりません。

お豆腐屋さん、最初は自転車で売りに来ていたものの、そのうち車に変わりました。そして昭和が終わり、平成になったころには、すっかりお目にかからなくなります。けれども今回、法事で葉山に来てみると、郵便ポストがある上の道で、お豆腐屋さんが移動販売をしているではありませんか。思わず声をかけて、話を聞いてしまいました。

豆腐を売って回っていたのは「鎌倉小町」という店。「鎌倉」といっても、逗子銀座にある豆腐料理店で、私も平成のころ、食べに行ったことがあります。コロナ禍で売上が減り、埋め合わせるべく移動販売を始めたとか。軽トラックに並べられたお豆腐とお惣菜を買いながら、「ナット、ナット〜」に再会した気持ちになりました。

逗子といえば「なぎさホテル」も思い出の場所です。昔は親族の結婚式など、ちょっとした集まりはすべて、このホテルで行われました。

占領期には進駐軍に接収されましたが、返還後は石原裕次郎さんなども愛用していたようです。昭和の大スターとして知られる石原さんですが、もともとは兄の慎太郎さんともども、「太陽族」と呼ばれた若者の代表格。逗子や葉山とは縁が深く、森戸の海岸には記念碑があります。2番目の姉は現在、鎌倉の寿福寺に眠っています。平野邸からお墓参りに行く際、かつて、なぎさホテルのあった場所を車で通りました。

今、その場所にあるのはファミリーレストラン。鎌倉でも古いお屋敷の跡地がコーヒーのチェーン店になっており、これも時代の流れなのかと、しみじみ思いました。古い建物を維持していくことは、なかなか容易ではありません。とはいえ、皆様のお知恵やお力を拝借し、今後も両親や姉の残してくれた、平野邸Hayamaを守っていきたいと思います。
(前編はこちら


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